尽きない愛に気づいたあとは(「山里亮太の81」感想&考察)
愛を知らなかった努力のバケモノが、愛を知ったとき。山里さんだからこそ、山里さんでないと至れない境地に辿り着くという覇者の片鱗を見せてもらえました。まるで天国にいるかのような高揚感。拍手しすぎて痛い手のひらの感触だけが、この2時間半は夢じゃなかったと教えてくれました。#山里亮太の81
— ひさかた (@first_rule_is_) 2022年3月27日
行ってきましたよ、「山里亮太の81」。
私が心の中で生き様師匠と慕う、南海キャンディーズ・山里亮太さんの単独ライブです。
このつぶやきだけで私がいかに感銘を受けまくったかはよーく伝わるかと思うのですが、
もっとしっかり書き残したいのでブログ記事にしちゃいました。
がっつり内容とオチに触れてるので、見たくないよ~という方がいたらここでお別れです!
大千秋楽を見てまいりました!
81感想「天才」
唯一無二の芸人
ライブの全体像としては、マンダラチャートを軸として山里さんがより成長するための妄想をどんどん繰り広げていくという内容です。
「妄想」ってその人の中だけにあるものだから、好き勝手できるじゃないですか。自分の手の届かないことも好き放題できて。俺TUEEEですね(もう古い?)。
でも、われらがボスは目的を達するためなら妄想の中でも率先して、誰かの下へと地べたを這いずり回ります。それをできる人はきっと他にもいると思いますが、それをファンに見せてくれる人は他にいるでしょうか。傷を隠さずに最高の笑いを生み出す。山里さんにしか使えない、最強の武器です。そこを全面に出してさらに進化していくような内容となっています。
山里さんがご自分で考えたからこそ、という感じですね。
劣等感を抱えていることを決して隠さずに、それを自身の糧としてより笑いを生み出そうとする姿。かっこいいです。
山里さんって、唯一無二なんですよね。こうも自身を隠さずに曝け出してくれる芸人ささんって、私は浮かびません。無知なだけ、という可能性もありますが山里さんレベルの人はそうそういないでしょう。だって、友人知人に対してでもなかなかできないことじゃないですか。
自虐の竹槍って、山里さんにしか持てないと思っています。人間力の大剣もワードマシンガンも魔法の杖も芸能界で使いこなしている人は何人もいますが、山里さんでしかできない自虐の竹槍でどんなジャンルの変わった人でも倒しまくるのは誰にもできない。
そういうすごさも、本ライブで強く感じた部分です。
構成の妙
キービジュアル、めっちゃ謎だったんですよね。
81というワード。弥勒菩薩の姿をした山里さん。はて??と。
108とかだったら単純でわかるじゃないですか。あー、煩悩ねみたいな。仏教初心者(is 私)でも理解できるけど、81はマジで読めないぞと。
そんな81という数字の意味は、序盤で判明するんです。それでも、あの謎の姿については何も説明がないまま終盤へ。
正直キービジュアルの姿なぞ忘れて楽しんでる頃に、「あぁ!こういう意味だったのか!!」と思わせる演出力。脱帽でした……。
語らずして意味を為す。構成としていちばんかっこいいですよね!!唸りました。
いちファンとして
いちばん自分について悩んでいたときに、「思考を変えよう!生き方を変えよう!」なんて胡散臭い説教じみた自己啓発本みたいな内容ではなくて、「こういう生き方もある」と明示せずに教えてくれたのが『たりないふたり』でした。
すごいですよね。笑えて、元気をもらえる。多くの人にとって、唯一無二なユニットだと思います。ゆえのチケット販売数ですね!
番組で山里さんのブレない笑いへの姿勢を見て、本当に勇気づけられたからこそ今があります。
今回の81は、そういった意味でも元気をもらえる最高のライブでした!
(後述するんでちょっとゆるめで)
81考察「尽きない愛の獲得」
※以下は、オタク特有のいろいろ関連づけて考察したがる感じの集大成です。スタッフさんサイドが意図したものかは全く考えず、とにかく私はこう思ったよというのを書きます。
ここまで読んでくださる方であれば、もうあの名著は読了されているでしょう。そうです。『天才はあきらめた』です。
本文が最高なのは大前提なのですが、解説も素晴らしいんです。おそらく、山里さんをいちばん的確に表現している文章でしょう、若林正恭さんが書いた『ぼくが一番潰したい男のこと』。
かつてたりないふたりというユニットでともに笑いを浴びた若林さんだからこそ表せる、本当に大好きな表現があります。
「天才とは、尽きない劣等感と尽きない愛のことなのだから。」
今回のライブを見て、まず頭をよぎったのがこの一文でした。
「尽きない劣等感」については上述してきましたが、今回の公演でいうと「尽きない愛」の獲得が着地点にあると思っています。
おそらく、自身を愛してくれる人をとにかく愛してきた山里さん。人間って基本そうだと思うのですが、やっぱり自分のことを好きでいてくれる人って特別ですよね。私も、私のことを嫌い!という人間は大嫌いです。反対に、自分のことを慕ってくれているのがわかる人は大好きです。何かあったら助けてあげたいなと思うし、日々感謝も感じています。
山里さんを応援している人ならだれでも感じたことがあるはずですが、(われわれのような)いちファンへの接し方が本当に丁寧なんです。ライブも、まるで長年の友人に話すように観客席へ向き合ってくれる山里さん。
ご本人も本公演の千秋楽や140でよく「ライブで笑いを聞けることで芸人でいられる」とおっしゃられていますが、本当にそう思ってもらえているのをファンも感じているからこそ、熱心なファンも多いのだと思います。観客席との信頼関係を築く手腕は芸能界随一ですよね!ライブを作り上げる、共犯的な関係でもあります。どのライブに行っても感じられない一体感があります。私自身、それを心地よく感じている節さえあります。
そして、それは奥様やご家族、相方であるしずちゃんや片山さんはじめスタッフのみなさん、芸人仲間のみなさんへも向いています。
そんな山里さんが、本公演でいよいよ「それ以外も愛する」ということを悟ってしまったのです。
そりゃあもう涅槃しかないです。この構図が頭に浮かんだとき、唸りました。そりゃあないよと。こうもまざまざと見せつけられて、感動しないなんてことがあるものかと。ある種、恐怖すら感じました。
だって、天才がより進化しようとあがいでいるんですよ。もう唯一無二の最強芸人なのに。
それが、弥勒菩薩に重なるんです。まさかの。
さながら、仏の悟りを開こうとする弥勒菩薩のように「愛する」という悟りを開いた山里さん。最後のピースが埋まったような高揚感を残したまま、ライブは終わります。
この余韻はなかなか出せないですよね。
いつだって、愛に気づく物語には必ず感動が伴うんです。
相方と仲直りして、最愛の奥様と結ばれ、いよいよお子さんもできる山里さん。
仏となるための最後の悟りを見つけたボスが、どうなっていくのか。
これだから、この人を慕うことはやめられないんだ。